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東京地方裁判所 昭和41年(ワ)7843号 判決 1968年6月24日

原告 吉田茂

右訴訟代理人弁護士 柳沢良啓

被告 中村裕

同 中村佳子

右両名法定代理人親権者兼被告 中村三代子

被告 中村治三郎

右四名訴訟代理人弁護士 坪野米男

同 金川琢郎

主文

原告の各請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実および理由

第一、求める裁判

一、原告

1  被告らは連帯して、原告に対し金三〇〇万円およびこれに対する昭和四一年九月九日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二、被告ら

主文同旨

第二、当事者の一致した主張(争いのない事実)

一、原告は訴外吉田運輸株式会社(以下吉田運輸と呼ぶ)の代表取締役であり、被告らは亡中村武三の相続人である。

二、吉田運輸の被用者(運転手)高橋雄作は昭和三八年二月一九日大型貨物自動車(一せ二二四五号)を運転し、京都市下京区五条通りを東進し、堀川交叉点を左折しようとしたところ、中村武三の運転する第一種原動機付自転車(五〇七二号)が後部車輪に激突し、中村武三は即死した。

三、被告らは、右中村武三の死亡に因る損害賠償債権のうち被告裕については金五〇万円、同佳子についても金五〇万円、同三代子については金八〇万円、同治三郎については金二〇万円を各保全するとして、昭和三八年四月二三日京都地方裁判所同年(ヨ)一四三号不動産仮差押命令に基づき、原告を債務者として、原告所有の別紙物件目録記載の建物(当時は未登記。以下、本件建物と呼ぶ)に対して仮差押を執行し、同月二六日品川出張所受付第八、三九七号をもって、その登記がなされた。

四、そして被告らは、原告および吉田運輸、高橋雄作の三名を相手どって京都地方裁判所昭和三八年(ワ)七〇一号損害賠償請求訴訟を提起したが、同請求のうち原告に対する部分は、原告が高橋雄作の使用者であるとの事実は認められないとして棄却されそのまま確定した。なお吉田運輸と高橋雄作に対する請求で認容された部分すなわち被告裕については金六〇万円、被告佳子については金六五万円、被告三代子については金七〇万円、被告治三郎については金一七万円については、右両名から控訴している。

五、被告らは原告を債務者とする前記三の仮差押申請を昭和四一年六月二二日取り下げ、同日、右仮差押は取消された。

第三、争点

一、原告の主張

(一)  被告らの原告を債務者とする仮差押は、被保全権利も保全の必要性もないのに、最初から悪意もしくは重大な過失によって、なされた行為である。

(二)  右不当な仮差押の執行によって、原告は次のとおりの損害を蒙った。

すなわち、本件建物は時価一、五〇〇万円相当の価値があり、昭和四〇年一〇月中に同建物の買受希望者も現れたけれども、被告らの仮差押に妨げられて売買契約の成立を見るに至らなかった。原告が右買受希望者に本件建物を時価で売却していたならば、その売却代金の運用によって、倉庫を建設し、また貨物自動車数台を購入できたはずである。この場合、原告は倉庫料として一ヶ年間に金三六六万円、貨物自動車の運賃収入として一ヶ年金三三〇万円は少くとも取得できたところであるから、原告の得べかりし利益の喪失は一ヶ年分としても金六九六万円を下らない。

(三)  よって本件不当執行による損害賠償請求として、被告らに対し連帯して、内金三〇〇万円およびこれに対する不法行為後の昭和四一年九月九日から完済まで年五分の割合による民法所定の遅延損害金の支払を求める。

(四)  後記二(二)以下の被告らの善意、無過失の主張は全部争う。

二、被告らの主張

(一)  原告の損害発生の事実は否認する。

(二)  被告らが原告に対し被保全権利を有し、その保全の必要性があると判断したことには、次のような相当な理由が存在するから、被告らは善意、無過失である。

1 すなわち、本件衝突事故を惹き起した高橋雄作は一介の運転手にすぎず、損害賠償の資力がないので、被告らはその使用者を確認し、示談で円満解決を図ろうと考え、交渉を始めたが、その過程で、

(1) 加害車輛(一せ二二四五号)の使用者名義は「東尾電機商会」であり、高橋の勤務先も「東尾電機商会」であるとの記載が昭和三八年二月一九日すなわち事故当日の堀川警察署司法巡査作成の捜査報告書中に存在した。

(2) 事故当時、加害車輛に同乗していた運転手菊地武志も昭和三八年二月一九日付供述調書中で、警察官に対し、高橋雄作は自分と共に「東尾電機商会」に勤務していると供述している。

(3) 自動車検査証および自動車損害賠償保険契約でも、加害車輛の使用者は東尾電機商会と表示されている。

(4) 原告は昭和三八年二月二一日被告らに対し「加害者高橋雄作氏を雇傭する東京都品川区四丁目六六八番地東尾電機商会代表責任者である吉田茂(本件原告)が……一切の示談解決に何時にても応ずることを誓約致します」との念書を差入れたが、同書面に「東尾電機商会代表責任者吉田茂」と署名、捺印している。

(5) ところが、管轄登記所である東京法務局品川出張所の商業登記簿には「東尾電機商会」の商号を有する会社の登記は存在しない。

(6) そこで、被告らが昭和三八年三月一一日付書面をもって原告に「東尾電機商会」が実在するかどうか、実在するならば法人格があるか、それとも単なる個人の商号かを照会したところ、原告の同月一六日付の返信では、「東尾電機商会」は法人格がなく、原告個人の経営する企業と認められる趣旨の回答をして来た。

2 右の各事実を総合すれば、高橋雄作の使用者は東尾電機商会こと原告および吉田運輸株式会社であるとの判断に到達したのは必然であり、これに基づいて原告に対し損害賠償債権の行使を考えるのは当然である。

そして原告も、右(4)のとおり、示談交渉の当初においてはその賠償責任を肯定していたにもかかわらず、後になって東尾電機商会の経営者は原告でなく東尾某であると主張し始め、自分の損害賠償責任を免れようとする動きを示した。

3 もちろん、この間、加害者らからは一銭の賠償も支払われず、高橋雄作は資産もなく、吉田運輸も原告所有の居宅、倉庫を本店所在地とするもので、これまた資産もなく、けっきょく加害者ら三名の中では、原告所有の不動産が殆ど唯一の資産であった。しかも、本件建物は未だ保存登記を経由しておらず、いつなんどき他人名義に隠匿されるかもしれない状況にあり、そうなれば、被告らが本案訴訟で勝訴しても、請求権の満足は得られないことは明らかであった。

4 以上のとおり、被告らが弁護士を代理人に選任し、原告を債務者として本件仮差押をなすについて、被保全権利を有し、かつ保全の必要性があると判断したことには相当な理由があり、むしろ、当初における原告の言動が真相を誤らしめたものである。

第四証拠関係≪省略≫

第三、判断

一、被告らは原告を債務者(被申請人)として本件建物につき仮差押をしたけれども、その後、被告らから原告ほか二名を相手どって提起した本案の訴訟である京都地方裁判所昭和三八年(ワ)七〇一号損害賠償請求事件において原告に対する損害賠償請求の部分のみ全部棄却され、この部分は、そのまま確定したので、被告らにおいて右仮差押申請を取り下げ、昭和四一年六月二二日その執行が取り消されたことは前記第二のとおりである。

二、被告らは、被保全権利および保全の必要性があると確信したについて相当な理由があり、無過失であると抗弁するので、これについて判断する。

(一)  ≪証拠省略≫を総合すると、

1、原告は吉田運輸株式会社の代表取締役であるが、そのかたわら、東尾幸照を共同経営者とするとの触れ込みで、電機製品の販売を目的とする東尾電機商会なる企業を設立していた。

東尾電機商会はその商号の冒頭、ときには末尾に、「株式会社」なる文字を用いることもあったが、法人としての設立手続は履践されておらず、営業の資本は全額、原告が出資し、東尾幸照には給料が支払われるだけで、東尾電機商会としての利益はことごとく原告に帰属する仕組みになっていた。

2、本件事故を惹き起した加害車輛すなわち大型貨物自動車(一せ二二四五号)は、東尾電機商会が売り込みに成功した大型冷蔵庫を得意先に引渡すため、これを積み込んで菊地武志、高橋雄作の二名が運転し、配達した帰途にあったものであるが、同車輛の所有者は東尾電機商会であり、自動車検査証の使用者も「株式会社東尾電機商会」(ただし、会社として成立していないことは前示のとおり)と表示されており、自動車損害賠償保険契約は「東尾電機株式会社」の名称で締結されている。

3、加害車輛に同乗していた運転手菊地武志は、事故発生当日の司法巡査の取調に対し、「自分は東尾電機商会に昭和三四年一二月頃入社し現在に至っているが、同じ会社に勤務している同僚の高橋雑作と二人で加害車輛を運転し、東京から大阪まで冷蔵庫を運送して、その帰途、高橋雄作が運転中に本件事故が発生した」と供述し、その旨の供述調書が作成された。

4、もっとも、同日司法警察員から取調を受けた高橋雄作は、吉田運輸に雇傭されている旨の供述をしているが、同日作成された司法巡査の捜査報告書では、高橋雄作の勤務先を東尾電機商会と判断し、これを前提として「事案の概要」が記述されている。

5、原告も、事故発生の翌々日、訴外中島次登を同道して、被害者中村武三の遺族の代理人と見舞をかねて損害賠償についても折衝を試みたが、交渉は難航し、具体的な解決案をまとめることはできなかった。しかし原告はその場で遺族の代理人から提示された「加害者高橋雄作を雇傭する東尾電機商会代表責任者である吉田茂(原告)が遺族補償問題に関して責任をもって一切の示談解決に何時にても応じることを誓約する」旨の記載のある念書に、難色を示しはしたものの、けっきょく東尾電機商会代表責任者の肩書を附して署名捺印し、同道した中島次登も連帯保証人として署名捺印し、遺族代理人に右念書を交付した。

6、さらに原告は被告らの代理人の照会に対する三月一六日付回答書の中でも、東尾電機商会の経営の責任は原告にあること、同商会所有の車輛を自分の仕事の都合で代車として使用していたことを肯定したものと解せられる趣旨の回答をしている。

7、原告は未登記の本件建物のほか、川崎方面に土地約二〇〇坪を所有し、吉田運輸の代表者であり、また東尾電機商会の資本拠出者でもあるなど資産として一応みるべきものがあったのにひきかえ、高橋雄作は、本件事故を惹き起した当時、運転手として月平均三五、〇〇〇円程度の収入(手取り額)があるだけで他に資産はなく、吉田運輸にも、被告らから提起された損害賠償請求訴訟の判決によって損害賠償を命じられた金額を自力で調達するだけの資産はなく、けっきょく原告がその所有財産をもって、吉田運輸株式会社に支払を命じられた賠償金額を立替え支払ったほどである。

8、被告らは以上の事実を親族、知己の助力を得て、直接原告から聞きただしたり、手紙で照会したり、あるいは東京法務局品川出張所の商業登記簿、加害車輛の自動車検査証、本件事故に関する所轄警察署の捜査記録を閲覧するなどして調べあげ、これらの事実に基づいて訴訟代理人となる弁護士の判断を仰いだ結果、東尾電機商会は原告個人の企業であり、この東尾電機商会にも本件事故についての損害賠償責任があるとの確信に達した。ところが原告は、示談交渉を続ける間に、前示念書の趣旨を否定し、東尾電機商会は原告の企業ではないと強弁するに至ったので、本件建物が未登記であることも考慮して、右債権による執行の保全として、本件仮差押手続に及んだ。

との事実を認めることができ、右各認定を左右する証拠はない。

(二)  右の事実によれば、加害車輛が東尾電機商会の所有、使用中のものであることは明らかであり、東尾電機商会は法人格を有せず、また人格なき社団の実質を有するとも認められないから、被告らが右(一)で認定したような諸般の事情を検討して、加害車輛の保有者としての責任は原告個人にあるとの判断に到達したことには、なんら過失としてとがめるべきものはないと認められる。

原告は京都地方裁判所昭和三八年(ワ)七〇一号損害賠償請求事件で原告に対する被告らの各請求が棄却され、そのまま確定したことを根拠に、被告らの判断に過失があると争うけれども、≪証拠省略≫によれば、右訴訟では被告らの原告に対する請求が棄却されたのは、その請求原因を使用者責任の民法七一五条に基づいて構成したにとどめたため、「原告が運送業を営むこと、原告が高橋雄作を雇入れて右業務に従事させていたこと、高橋が原告の業務を執行中に本件事故を発生させたこと」の各点について立証が十分でないと判断されたことによるものであって、東尾電機商会こと原告の運行供用責任まで主張され、判断されたうえで請求棄却の判決がなされたものでないことは明らかである。したがって、右確定判決の存在をもってしても、被告らが本件仮差押について無過失であるとの前示判断を左右するに至らず、他にこれを動かすに足る証拠はない。

(三)  もっとも、保全処分は請求権の確定をまたないで債務者に拘束(強制、侵害)を加えることを許すものであるから、債権者がこれを利用する以上は、もし本案訴訟で敗訴したときは、保全処分について過失が無くとも、これによって生じた債務者の損害を賠償すべき義務を負うべきであるとの無過失責任説も存在しないではない。

しかし、債権者の敗訴とはいっても、敗訴判決に至った原因は多様であり、最初から十分な証拠もなく訴訟を提起した場合もあれば、判例の変更によって勝敗を逆転することもあり、資力や訴訟追行の技術上の巧拙によって左右されることもあり得ないではなく、稀には刑事上罰すべき他人の行為によって一旦は敗訴を余儀なくされることもあり得る。しかも、債権者が本案訴訟では敗訴したけれども、保全処分について咎むべき過失を見出し得ないという例にあっては、むしろ、債務者に保全処分を招き、訴訟の提起を誘発する原因をかもした場合もないではなく、本案訴訟の結果に従って、あたかも結果責任のごとく、一律に無過失損害賠償責任を債権者に負担せしめることは、過失責任主義を原則とする我が不法行為法の体系と調和を欠く嫌があるばかりでなく、具体的衝平を失するおそれが少くない。なるほど保全処分は請求権の確定をまたずして債務者に保全の限度で強制を加えることにはなるけれども、保全の必要性が存在するかぎり、保全処分は本案訴訟の結果を画餠に帰せしめないために、むしろ必要不可欠な措置であって、保全処分のかかる機能を無視して、請求権の満足を実現する仮執行宣言に基づく執行と同列に置いてその責任を論じるのは正当でない。民事訴訟法一九八条二項は、確定前の請求権の実現(満足)を得た者に対して法定の担保責任を負わしめる趣旨と解すべく、保全処分による損害賠償責任は、原則に立ち戻って、過失責任とし、ただ、保全処分の正当性もしくは、これに代えて無過失を債権者の抗弁事項とし、債権者は、被保全権利および保全の必要性の存在を主張、立証するか、これに代えて被保全権利が存在し、かつ保全の必要性があると信じたことに過失がないことを主張、立証できたときには、損害賠償義務を免れることができると解することによって、当事者間に具体的衡平をより良く実現できるものと考えられる。したがって、無過失責任説の立場は採用できない。

三、以上のとおり、被告らは本件仮差押について過失が無かったものであり、右のとおり無過失の債権者は損害賠償義務を負担しないものと解するのが相当であるから、原告の本訴請求はその余の点につき判断するまでもなく失当に帰する。のみならず、原告主張の損害は、本件建物の売却代金の特殊な運用によって得べかりし利益の喪失をいうものであるから、これはいわゆる特別損害に該当するものであるところ、被告らが、かかる損害の発生を予見し、もしくは予見できたであろうことは、原告においてなんら主張、立証しないところであり、かえって≪証拠省略≫によれば、被告中村裕、同中村佳子の母である被告中村三代子は、原告のこのような売却およびその代金運用の意図など知らなかったことが認められ、反対の証拠はない。してみると、被告らはいずれも特別事情に因る損害である原告主張の本件損害の発生について予見も、その可能性もなかったものと推認されるから、この点においても原告の請求は失当である。

四、よって原告の請求をいずれも棄却することとし、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山本和敏)

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